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2016年2月24日(水)に第24回山陰研究交流会を開催いたしました。 今回の山陰研究交流会は、小林准士先生(法文学部)が近世出雲における親分子分関係とかな娘-手銭家「万日記」を手がかりに-と題して報告されました。

今回は、戦前頃まであった「親方どり(親方子方関係・かなむすめ)」という習俗について、出雲市の旧家・手錢家の所蔵する「万日記」から読み取るというお話でした。

 

 

はじめに、出雲市の旧家・手錢家の所蔵する「万日記」について、どのような書物か解説いただきました。

手錢家の「万日記」は、日記と言っても個人の日記のようなものではなく、手錢家の当主が代々残してきた自家に関わる記録集にあたります。ちょうど幕府や藩・町村の「御用留(役人の手元で記録された公用の記録集)」のようなものとなっているとの事でした。

 

次に、「親方どり(おやかたどり)」についての説明がありました。「親方どり」とは、実の親子関係と違い、個人間で擬似的に親子関係になる事を言い、<親>側を「かな親(他にかね親・契約親・筆親……と様々な呼び方があった)」<子>側を「子方・かなご・契約子・出入り物(こちらもさまざまな呼び方があった)」、女子の場合は特に「かなむすめ・かなご・ふでご」等といいました。

この慣行は相談役や後ろ盾と言った意味合いもさることながら、実の親子同様、場合によってはそれ以上に深い関係を生涯にわたって続けるもので、「親方」の死後も「親方」の家を「子方」はたてて支えたそうです。この慣行は全国的にありましたが地域によって機能の仕方が違い、同じ島根県でも地域によって傾向が違うとの事でした。

 

この「親方どり」等の擬似的な親子関係(擬制的親子関係)を作る事は、昭和の初めから戦前頃までで消えていったそうです。また、研究も民俗学や社会学の分野中心で行ってきたため、江戸時代ではどのように機能していたのかよく分かっていないそうです。ところが「万日記」にはそういった擬制的親子関係の慣行に関する記述もあり、江戸時代の手錢家において、この慣行がどのように行われてきたか読み取れる史料だとして、実際の日記の内容と合わせてご紹介いただきました。

手錢家の記録には「契約子(かなご)」よりも「かな娘」に関する記述が多く、また、自家の冠婚葬祭時に「契約子」「かな娘」達が家の手伝い等を行い、「かな娘」へは婚姻時にお歯黒道具を送ることになっていたそうです。その中でも、「かな娘」へ送るお歯黒道具の調達の際の行き違いや、かな娘にあたる女性の初めてお歯黒を行った時の失敗なども書かれており、大変面白い内容でした。

 

まとめでは、手錢家などの有力な家は、沢山の「契約子」「かな娘」などを抱える事で社会的な威信を得る他、他の有力な家との関係づくりや親族とより強固に結びつくためにも、この「かな親―かな娘」の関係を広げていったのでは、との見解を示されました。一方で、<親>側に経済的に負担が生じる「かな親―かな娘」の関係を時に断ったり、条件付けて受入れたり等して、経済的な負担を和らげるなどの手法も使われていた事も示されました。

 

質疑応答では、この擬制的親子関係を「戦後にも残っていた」という事で会場から実体験としてご存じの参加者から発言いただいた他、時間ぎりぎりまで質問や意見が出されました。


2015年度の山陰研究交流会は今回で終了いたしました。平日の開催ながらも、ご参加いただき誠にありがとうございました。

2016年度も同様に開催の予定ですが、9月または10月~2月頃を予定しています。スケジュールの決定までしばらくお待ちください。

(企画室)